「モテるカード」という問いが、もう不要になった理由

かつて私は、「モテるクレジットカード」という切り口の記事を書いた。
今、読み返すと正直に言って軽薄だ。
そして同時に、当時の自分が何を求めていたのかも、よく分かる。
カードは、人を飾るための道具だった
若い頃、カードは「自分をどう見せるか」のための道具だった。
・ どのカードを出せば一目置かれるのか。
・ どの色が、どの場で強いのか。
そこには、相手の評価を先回りして取りに行く発想があった。
週刊誌が好む「モテるカードランキング」は、その不安に、分かりやすい答えを与えてくれる。
だが今なら、はっきり言える。
「モテる」という評価は、カードが生むものではない
カードの素材がチタンであろうと、金属であろうと、あるいは無料であろうと。
それ自体が、人の信頼や魅力を決めることはない。
むしろ、カードに何かを語らせようとする姿勢そのものが、不安を露呈してしまうこともある。
ブラックカードが「当たり前」になる場所
夜の店ではブラックカードが当たり前、という言説がある。
それは、その場が「判断力」よりも「支払い能力」を重視する世界だからだ。
そこでは、カードは人格の延長ではなく、単なる通行証に過ぎない。
この事実を理解せずに「モテる・モテない」を語ること自体が、どこかズレているのだ。
カードは、前提条件が整った人のための道具
カードは本来、誰かに評価されるための道具ではない。
● 自分がどんな時間を過ごしているか
● どんな場所に身を置いているか
● どんな判断を日常的にしているか
この前提条件が整った結果として、自然に選ばれる道具だ。
カードが人を作るのではない。
人の生き方が、どのカードを必要とするかを決める。
今なら、こう言い換える
もし今、「どのカードを持てばいいか」と聞かれたら、私はこう答える。
・ モテるかどうかで選ぶ必要はない。
・ 自分の生活と時間に、正直でいられるカードを選べばいい。
カードは、自分を誇示するためのものではなく、判断を静かに支えるための道具なのだから。
後記
「モテるクレジットカード」という問いは、ある時期には確かに魅力的だ。
だが、自分の立場や時間の使い方が定まってくると、その問い自体が意味を失っていく。
カードは、評価を取りに行くための武器ではない。
前提条件が整った人が、淡々と使う道具である。
それだけで十分だと・・・、今の私はそう思う。


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