なぜ私がその時計を買ったのか?

思想系

これは私が社会人として10年近く過ごした頃の話だ。

 

当時の私は、自分なりに人生の一つの節目を迎えた気持ちでいた。

研修を含めた下積みを終え、ようやく一人前の職業人として歩み始めた気持ちだったのだと思う。

 

ようやく一人前の社会人に到達した。そんな自負が芽生えた時期だった。

その頃、私は一枚のカードを手にしていた。

 

ダイナースプレミアム。

 

若い頃の私にとって、それは少し特別な存在だった。

努力してきた証のような気もしていたし、大人の世界への入場券のようにも感じていた。

 

今振り返れば、少し背伸びをしていたのかもしれない。

 

そんなある日、自分への記念として何か形に残るものを手にしたいと思い、大阪の百貨店の時計売場へ向かった。

そのころの私は、高級時計に憧れていた。

しかし実際のところ、腕時計に関する知識は乏しく、何を買えばよいのか全く見当もつかなかった。

 

ロレックスの名前は知っていた。

オメガも知ってはいた。

けれど、それ以上の知識はほとんどなかった。

時計雑誌を読み込んでいたわけでもないので、ブランドの歴史を語れるわけもない。

 

ただ、「良い時計を一本持ちたい」。

そんな漠然とした思いだけを抱えていた。

 

訪れた売場にいたベテランの販売員に正直に伝えた。

「腕時計が欲しいのですが、何を選べばいいのかわからないんです」

 

販売員は特に予算を尋ねることもなく、笑顔を浮かべながら、数本の時計をトレーに並べてくれた。

 

一本ずつ手に取らせてもらいながら説明を聞いていると、その中にロンジンの時計があった。

エヴィデンツァというモデルだった。

 

不思議なくらい迷わなかった。

 

数本の候補があったにもかかわらず、私が選んだのはそのロンジンだった。

当時は理由など考えなかった。

その角型のデザインが気に入ったのかもしれない。

腕への収まりが良かったのかもしれない。

 

ただ今になって振り返ると、あの日の選択には別の意味があったような気がする。

 

実は父もロンジンの時計を愛用していた。

もちろん、その時に父を思い出していたわけではないと思う。

父と同じブランドを選ぼうと考えた記憶もない。

 

それでも私はロンジンを選んだ。

 

人は自分の意思で選択しているつもりでも、実はもっと深いところで価値観を受け継いでいるのかもしれない。

 

会計の際、私は少し誇らしい気持ちでダイナースプレミアムを差し出した。

今でもその場面を覚えている。

当時の私は、カードの方に価値があると思っていたのかもしれない。

 

しかし二十年以上が過ぎた今、手元に強く残っているのはカードの記憶ではなく時計の記憶。

 

カードは更新され、やがて別のカードへと変わった。

けれど時計は残った。

 

人生の節目ごとに腕に巻き、

家族との時間を過ごし、

社会人としての日々を共に歩いてきた。

 

長い年月を経たせいか、最近は少しだけ時間が早く進む。

時計としては決して優秀ではない。

それでも修理に出そうと思ったことはない。

その少しせっかちなところも含めて、私の人生を共に歩いてきた大切な相棒だと思うから。

 

若い頃の私は未来ばかりを見ていた。

もっと上へ。

もっと遠くへ。

そんなことばかり考えていたように思う。

 

しかし人生の後半に差しかかると、ときどき立ち止まって振り返りたくなる。

自分は何を受け継ぎ、何に導かれてここまで来たのだろうかと。

 

父のロンジン。

そして自分で選んだロンジン。

その二つが一本の線でつながったことに気付いたのは、ずいぶん後になってからだった。

 

腕時計は時間を知るための道具である。

 

けれど私にとって、このロンジンは少し異なる。

それは過去と現在をつなぎ、人生の節目ごとに立ち止まらせてくれる存在なのだ。

 

あの日、百貨店で購入したのは単なる普通の腕時計だ。

しかし本当に手に入れたのは、自分がどこから来たのかを思い出すための小さな記憶装置だったのかもしれない。

 

“少しだけ未来へ時を進んでしまうこの時計が、過去を思い出させてくれる”

 

なんだか不思議な感覚だ。

 

父のRADO
私の父は九州で米農家をしていました。

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