ダイナースの歴史がそのままクレジットカードの歴史
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(出典:http://www.web-nile.com/article/article.php?category=13&article=000062&page=2)
ダイナースクラブの生みの親であるマクナマラ氏
今回は,ダイナースの歩みをみていきたいと思います.
ダイナースの歴史がそのままクレジットカードの歴史である,といっても過言ありません.
愛読誌Nile’s NileのWeb版であるWEB-NILEを何気にみていると,ダイナースカードに関しての以下のような記事がありました.
「食」に始まる50年の歩み
あ……財布を忘れた…。1950年、ニューヨークのレストランで小さな“事件”が起きた。実業家のマクナマラが食事を終え、支払いをする段になって、財布を忘れてきたことに気づいたのだ。そこは馴染みの店ではない。彼は慌てて郊外の自宅に連絡し、夫人に現金を届けてもらった。この時、胸を撫でおろしながら、彼は考えた。
「初めて行くレストランでも、ツケで食事を楽しめる。そんな仕組みができないものだろうか」
そんな思いつきから産まれたのが,ダイナースクラブだったのです.
マクナマラ氏は弁護士の友人と1万ドルずつ出資して,クラブを創設しました.まずはニューヨークのレストラン7軒と契約し,100人余りの知人を集めて会員証を発行したのが始まりです.その始まりそのものが,食事を楽しむ人のためのクラブだったのですね.
続きを読んでみます.
日本のダイナースクラブは諸外国に遅れること約10年,24番目のフランチャイジー
クレジットカードが世界を席捲する原動力となったのは、ダイナースクラブがいち早く導入したフランチャイズ制だ。日本は1960年12月2日、24番目のフランチャイジーとなった。加盟店第一号は東京麹町・ダイヤモンドホテル。以後、山の上ホテル、椿山荘、天一など約100店舗で営業がスタートした。
日本上陸の一番の目的は、実は「日本国内で会員を募る」ことではなかった。時代はまだカード黎明期。ダイナースクラブも「外国人旅行客の利便性のために加盟店網を整備する」ことに軸足を置いて海外戦略を展開していたのである。つまり、ある種の国際観光事業。この経験がトラベル&エンターテインメント分野という「強み」に磨きをかけたのだ。
日本のダイナースクラブは諸外国に遅れること約10年,24番目のフランチャイジーとして発足しました.当初の目的は日本国内での利用普及というよりも,海外からの顧客へのサービスの色合いが濃かったようです.つまりカードは観光事業としての位置づけだったのです.これこそダイナースがT&E系カードと呼ばれるゆえんなのですね.
よくわかりました^^
実は,日本発のサービスもある
上記のようにサービス開始がやや遅れた日本でしたが,日本発のサービスもあるようです.
以下が続きです.
カードを紙からプラスチックに変えたのも、銀行口座振替制度を導入したのも、キャッシング・サービスを開発したのも、日本ダイナースクラブが初めて。そのパイオニア精神は78年に日本で初めて海外・国内共用のインターナショナルカードの発行を開始したことにも発揮された。
今では当たり前のクレジットカードの重要サービス様式が,日本から始まったということは初耳でした.
私もまだまだ勉強不足です.
ちなみに日本で当初発行されたダイナースはなんと紙製
でも,なんだかカッコいい^^
上記記事の内容は,このサイト(↓)からの引用です^^
ダイナースクラブ×ナイルス×「かんだ」特別イベント(2/5)WEB-NILE –
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